浄土真宗本願寺派 瑞光山 西念寺

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2024.06.19 今週からプール②

今週からプール①の続きです。

風呂場に行く途中に、仏間の前を通ったら、仏間でお母さんが「きみょうむりょうじゅにょらい、なもふかしぎこう・・・」と、お参りをしています。それを聞きながら、お母さんが晩のお勤めしてるなと思いながら、少女は風呂場に行ってシャワーを使います。
頭も洗い、口も潤いで、今夜はもう寝るんだと。そして、頭を拭きながら、また仏間の前を通ったら、お勤めの終わった母さんが、仏さんとなにやらブッブッ、ブツブツ話をしてるんです。何をいってるんだろうと思って、聞くともなしに、襖の隙間からひょっと見たら、お母さんは両手合わせて、数珠をかけて、仏さんと話をしています。
「み仏様、こともあろうに、あの子がクラス代表の水泳の選手に決まりました。あの子は七メートルしか泳げませんので、プールに飛びこんだら、向こう岸につくまでに溺れます。
それよりもっと惨めなことは、細く曲がった足を全校生の前にさらけだすことです。どれだけ辛いか、乙女心を傷つけられるか、親の私には痛いほどわかります。けれども今からの長い人生、人を欺き、己を偽り、逃げてばかりで、偽の診断書で世渡りできるほど、甘いもんじゃありません。
どうぞ、あの子が力を出して、苦難を乗りこえていく力を与えてください」。お母さんが涙をこぼしながら、仏様に一生懸命手を合わせて、拝んでいます。その両目から頬を流れる涙に、仏壇のりん灯の明かりがキラキラ、キラキラと輝いているのを見たときに、少女は親心に触れたんです。
とくに浄土真宗というのは、仏様を拝んだからといって、曲がった足が治る宗教とは違います。泳ぎが急に早くなるという宗教とは違います。
ただ、価値観が違ってきます。どういうふうに違うかというと、災いが転じて福となる、哀しみが喜びに変わります。あたりまえの人生が、「おかげさま」に変わってきます。私はあの人よりも偉いと思っていたといううぬぼれが、お恥ずかしいに変わるんです。
それをご開山親鸞聖人は、この世の利益きわもなし、と表現なさった。「ごじょくあくせのうじょうの、せんじゃく本願信ずればー」。せんじゃく本願といったら、第十八願のことです。「せんじゃく本願信ずれば、ふかしょうふかせつ不可思議の功徳はぎょうじゃの身にみてり」ということは、哀しみが喜びに変わるということです。
少女はついいましがたまでは、母親を恨んで泣いたんです。その同じ涙がこんどは、お母さんありがとうに変わったんです。それが、哀しみが転じて喜びに変わるということです。
浄土真宗はただ一言、「親心に目覚める」ということに尽きます。ご本願ということは、阿弥陀さんの約束です。阿弥陀様がどれほど私のことを、案じ心配していらっしゃるかということ、それ一つを聞くのです。
そして、ようこそ、ようこそとうなずいたのをご信心という。私たち自身には本来、信心なんかありません。けれども阿弥陀さまが、私に賜った信心は変わらないから、これを回向、ご回向というんです。
もうすべて、「おまえが助かることも救うことも全部私のほうで仕上げてあるから、それを、なんまんだぶつにぶちこんであるから、あんたは、それを受けとってくれよ」ですよ。だから、はいはいとうなずくばかりでいいんです。
「それまでに、おっしゃるんでございますか。それならありがたくいただきましょう」。助けてくださる阿弥陀様を拝むんです。これが、浄土真宗の要でしょう。
少女は、いま、はじめてお母さんの親心に触れて、恨めしい涙も、はや、歓喜の涙と変わって、ああ、ありがたやと転化されたわけです。お母さんありがとう。わずかのあいだでもお母さんを恨んでごめんね。お母さん、私は泳ぐ。
(続く)

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