浄土真宗本願寺派 瑞光山 西念寺

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行事カレンダー

西念寺で行われる様々な催事について

2019.02.28 いのちの授かり

昨日のブログで268グラムの赤ちゃん退院のことを記しました。小さく生まれた赤ちゃんは「未熟児」ではなく、「低出生体重児」という呼び方を知ったのは今から2年半前。わが子の生まれたときでした。双子ということもあり、1人は1000gで極低出生体重児と呼ばれ、もう1人は900gで超低出生体重児と呼ばれました。手のひらに乗るほど小さい身体には何十本も管が繋がれ、日に日に管が減っていくことが歓びでした。100日ほどで管も無くなり退院出来るときは嬉しさよりも不思議な光景だったことを想い出します。まさにいのちは授かりもの、南無阿弥陀仏そのものでした。

2019.02.27 いのちのはぐくみ

男児で世界最小。268グラムの赤ちゃん退院。
今朝から新聞を読むと1面にこの話題が載っていた。昨年8月に268グラムで生まれた男児が、自分の力でミルクを飲むことができるようになるまで成長し、20日に退院したと発表した。退院時の体重は3238グラムで、大きな合併症もないとのこと。
小さく生まれた赤ちゃんは「未熟児」ではなく、「低出生体重児」という呼び方をしていることを思い出した。当たり前だが小さな身体に心臓も脳もちゃんと備わってくださる。まことに有難い。いのちの尊さ。いのちのはぐくみ。

2019.02.25 親の尊さ。母の尊さ。

作家の前田司郎さんが今から4年ほど前に東京新聞 (風向計)へ寄稿したコラム。改めて読むとほんとうに有難いものです。
「お母さんを責める前に」
飛行機で赤ん坊を連れた女性と隣り合った。僕は窓の外を見たり、本を読んだりして過ごしていたが、女性は赤ん坊を胸の前に抱え、荷物を座席の下に入れるのもひと苦労で、まるで甲冑を着て飛行機に乗っているようで、しかもその甲冑は生きていて、猫のように勝手に動くのだ。おせっかいにならない程度を見計らって僕も手伝ったが、その度に「すいません」と謝るように丁寧にお礼を言われた。赤ん坊は無慈悲な乱暴者で、髪を引っ張ったり、前の人の頭を触ろうとしたり、おんぶ紐を外そうとしたり、おっぱいを欲しがったり、やがて泣きだした。事情を知らずに泣き声だけ聞けば、お母さんの監督責任を追求する人もいるだろう。どうか遠くのお客さん怒らないでください。彼女は全く休む暇もなく、二人分の荷物を持って降りて行ったが、全く頭が下がる。お母さんてものは、こんなにも大変なのか。その片鱗をみた思いである。たかだか数時間のフライトだったけど、この暴君と二十四時間付き合う母親は大変な忍耐だ。壮大な愛である。もし家族や行政のサポートも受けられず一人で赤ん坊を育てないといけない環境でいたら、おかしくなってしまうのも仕方ないかもしれない。そういったお母さんを責める前に、もしくは子供を産めや育てやと言う前に、まずは全てのお母さんにもっと感謝すべきですね、昔赤ん坊だったことのある人は。

 

2019.02.22 全国初の「碍」?

兵庫県宝塚市は障がい者、障害者と記していた公文書の「害」の字の使用をやめ、来年度から「障碍者」という字を使うとのこと。碍は常用漢字ではないので一般になじみのない字ですが「行く手を妨げる」という意味があるからとのことらしい。融通無碍という言葉もこの字で表されますが、歎異抄というお書物にも「念仏者は無碍の一道なり」とお示しです。何ものにもさまたげられないひとすじの道ということでしょう。仏さまの言葉には意味だけではなく深さも尊さもお示しくださいます。きっと小生の名もここよりいただいたことと思われます。

2019.02.18 趣味をこえた。太子さま。

今日ご門徒さん宅にご命日でお参りに伺うと聖徳太子の像が。あれっ。今までなかったような。お話しを聞くと知り合いが趣味で彫ったとのこと。凄い。凄すぎる。趣味といえる領域ではありません。非常に豊かな表情が愛らしいのです。どうやら南無仏太子立像(重文)を真似た作品らしいです。聖徳太子が、二歳の春に東方を向いて合掌し、「南無仏」と称えたという説話上の姿を表した像です。お腹がぽっこりしてていいんです。なんとも穏やかなお姿でした。「真似る」こと大切です。

2019.02.16 16日の尊さ。

毎月16日は親鸞聖人のご命日です。西本願寺ではShinran`sDayというてるようです。16日親鸞さまの命日、長崎の実家では精進料理をいただいておりました。いのちのお謂われ問う日でもありますお講(法要)が勤まります。一時期、16日は何も食しない日として過ごしたことがありました。とは言いましてもお水は飲みます。水だけで1日を過ごす、とてもいい経験でした。とにかくお腹が空く。空腹の辛さ。1日の長さ。空腹過ぎて睡眠も困難。食欲の恐ろしさを痛感します。それと共に、翌朝の朝食が美味しいこと。美味しいこと。こんなに美味しい朝食は今までありません。1度試してみる価値ありかもです。ただし体調には充分注意してくださいね。

2019.02.12 赤飯のお仏飯。

ご門徒さん家のお内仏(お仏壇)。普段は白米でお仏飯がお供えされていますが祥月命日のときはこのように赤飯をお供えされます。おじいさんの好物とのことでしたが、先立たれた大切な方はお浄土に往き生まれさせていただき仏さまと成らせていただくのですからお赤飯も尊いお供えと思われます。以前、とあるお葬儀の時にお赤飯のお仏飯がお供えしてあったことを思い出しました。有難し。

2019.02.08 非日常。

先日お寺の研修会(連研)で納棺を体験してきました。日常、棺を目の当たりにする僧侶ですが自分自身が入ったことはなく、はじめての経験でした。蓋を閉められると中は真っ暗で、ちょっとした光も入りません。まさに遮断された空間です。この真っ暗な状態で2分ほど入りましたが、普段考えることのないことを考えます。様々な事が頭をよぎります。たかが2分と思いきや2分の長さにも驚きます。ご門徒さんも10人ほど体験してくださいました。改めて今あるいのちの尊さを省みる時間になります。1つわかったことがあります。この棺、一般的に普通サイズを準備いただきましたが、私には肩幅が狭く肩が浮いてしまいます。しかしこれが当たり前とのこと。知らないことだらけです。教えてもらうことが出来ました。

2019.02.07 どうでもいいですよ。

木曜日ですので気ままに記します。副住職の無稽独語。近くのスーパーへ行きました。必要なものをカゴに入れながら店内をぐるぐると。すると冷蔵のコーナーに「京の味 厚焼」とあるではありませんか!たまご好きの私は手に取りました。すると、厚焼、なのに、ビックリするぐらい薄いのです。画像右側が厚さです。約5ミリほど。厚焼ではないなーと思い購入せずに帰宅。その後も厚焼が頭から離れません。あまりの衝撃に脳も驚いているんでしょう。けども厚焼てことは、もしかして真空だったかも―と今更ながら思いつつ、購入しなかったことをちょっぴり後悔している今晩です。

2019.02.02 「ふくはうち おにもうち」

明日2月3日は節分です。「鬼は外 福は内」というかけ声で豆をまくそうですが私は今まで豆まきをしたことがありません。仏教ならば「ふくはうち おにもうち」でしょう。自分にとって都合のいいものを「福」と呼び、都合が悪いものを「鬼」と呼んでいます。生も「死」があるから生なのです。ただ生きるのではなく、死があるから今ある「いのち」、生が輝いてくるのではないでしょうか。鬼は外とかけ声している自分が1番の鬼のようです。画像の絵本は人間も鬼もみんなが互いの立場を理解しながら描かれている本のように思われます。