行事カレンダー
西念寺で行われる様々な催事について
2020.06.20 20日の言葉
我らは常に裁判員
他人は「有罪」
自分は「無罪」
人間ってどこまでいっても私利私欲だと、とある講演で聴いたことがあります。
私利私欲とは自分自身の利益だけを追求する身勝手な欲望、という意味の表現とあります。先日コンビニで用足し、外に出ると置いたはずの傘がありません。たかが5分弱です。
それだけで傘がないことに立腹している自分がいます。
雨も止む気配もないので新しい傘を買おうか迷っているときでした。
50代ぐらいの男性がコンビニの店員さんに「傘を間違いました」と来られました。
ついつい、それ私のです、と言っちゃいました。「すいませんでした」と謝れ、足早に行かれたことです。きっと急いでおられたことでしょう。
どこにでもあるビニール傘ですので誰か間違って持っていったかな?などとは思いもしません。常に自分が1番正しい、他人は間違いと捉えようとしている自分がいます。
それも発しなくて言い言葉「それ私のです」。まで出てしまうお粗末な自分に嫌気がさします。どこまでいっても他人は有罪。自分は無罪の心が常に備わっているこの身の危うさをお示しくださるお言葉といただきます。
2020.06.19 19日の言葉
「幸」
「幸」って何でしょう?「辛」って何でしょう?
何気ない問いや質問ほど答えるのは難しいものです。
シェイクスピアの言葉にもあります「人生には幸も不幸もない、ただ、考え方でどうにもなるのだ」と。
稀なことの連続で私という存在があり、いのちが生かされています。
今息できていることも、心臓が動いていることもすべて稀なことです。人間は眠くなったら寝て休むことができますが、心臓が同じ事をしたら大変です。心臓が「今日は疲れたからちょっと休みます」といって休めば私たちは皆、死に至ります。
人が寝ても覚めても心臓の働きがあるおかげでこのいのち支えられています。
これ以上稀なことはありません。生きていること、目が覚めること等、日常の中に沢山のおかげさまという「幸」があります。
普段はなかなか考えもしませんが、自分自身にお礼をいい、労ったください。
私の為にこの身体が今日も目一杯はたらき続けてくれております。これこそ幸そのものです。
2020.06.18 18日の言葉
18日の言葉
私のあたまに
つのがあった
つきあたって
折れてわかった
有頂天は仏教用語です。仏教においては最高の迷いを表す言葉なのです。
最高にうれしい時、例えば宝くじに高額当選や、難関大に合格したり等々、人間においての最高の喜びを表す代名詞になっている有頂天。
「有頂天に登りつめる」とは「絶頂を極める」の意を転じて、頂上世界に安住して自分を忘れてうわの空である状態を指すようになった。 とあります。
本来の意味とはズレがありますが「調子に乗るな」ということでしょうか。
人間みな、自分がかしこい、と思い込んでいます。またはかしこいとは思わずとも、あの人よりは自分はマシな人間だと思い込んでいます。
嫌いな人を思い出してください。きっと自分の方がマシな人間と思うでしょう。
人は皆、隠れた角を持っています。どこでどのように伸びるかは人それぞれでしょうが、短い角も長い角もつのに変わりはありません。調子に乗ると様々な出来事で折れます。
けども折れてもこの角がまた生えてくるのです。厄介な角もち人間です。
角あるままの人間のお姿を知らしめてくださるのが仏法です。
2020.06.17 17日の言葉
思うようにならんのは
人ではなくて
自分の心なのだ
「人は常に自分が1番正しい」と勘違いしています。
とくに人と人がトラブルであったり、他人と意見がぶつかったりすると自分が正しいという主張を当事者同士、両人ともする。両方とも引かなければ当事者同士が相手を説得にかかる。「ほら、これがこうだから私が正しいでしょ!」みたいに。その反論に、言われた側は、「いやいやいや、ここがこれだから、あなたは間違いでしょ!」と。
結局、お互い納得も行かないまま、引くこともなく終えていく。そして言う。
あいつは「ろくでもないやつ」「わからんやつ」「偏固」だ、みたいに。両人とも。
さて自分はいかがでしょうか。
思い当たること沢山あります。ありすぎて困ります。恥ずかしいひと言です。
やはり仏法は大切ですね。わが身を全てを隠すことなくみせてくれますから。
2020.06.16 16日の言葉
昨日は雨も止み、梅雨もひと休みでしょうか。蒸し暑い日でしたが久しぶりの晴れ間にちょっぴり喜びを感じておりました。
16日の言葉です。
ほしいものは
沢山あるけれど
必要なものは
そう多くはない
この時期でも夏物ばかりの気候となりました。冬物をしまい、夏物を準備していると、もう何年も来ていない衣類が何枚も出てきました。捨てればいいものを、何かに必要だと思い閉まっていた数年ほど。1度も袖を通しておりません。世間でいう断捨離をしないといけません。
なんだかんだ言いながら捨てられない欲深いわが身を如実にみれます。恥ずかしいものです。
つまりほしくて購入したのにもかかわらず、決してそれが必要かと言われればそうではありません。本当に必要なものは多くないいですね。これから本能のおもむくままを1度、しっかりと見極めることが大事と教えられました。
2020.06.15 15日の言葉
笑顔とやさしい言葉は
お金のかからぬ
誰でもできる
尊いほどこし
無量寿経というお経のなかにも「和顔愛語」と示されています。
相手の身になって和やかな笑顔と、思いやりのある話し方で人に接するという意味です。
意味は理解できても行動がなんとも難しいものです。
気の知れた仲間や友人には案外できることもありましょう。ただ自分にとって苦手な方、不都合な方にも同じように接するのは容易ではありません。
ものすごく大変な事です。これが難しいのです。
頭で理解するのがただの理屈です。これが行動も、言葉もいつでも、どこでも、誰にでもとなると不可能にちかいのです。
この表情こそまさに仏さま、仏教の尊さをお示しくださるお言葉のひとつであります。
2020.06.14 14日の言葉
14日の言葉
死ぬことは
生まれたときから
始まっている
生まれたものに「いのち」という名称がつく。生まれたから「死」があって生まれなければ死はない。つまり、いのちもない。
生まれたから死ぬのであります。
コロナ、病気、事故など様々な要因は縁といただきます。自分にとっていいも悪いも、縁によって成り立ち、その縁によって結果かでます。
一休さんの言葉に、「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」という逸話が残されていますが、生まれた順に死していけるほど有り難いものはありません。
現実には「孫死ぬ、子死ぬ、親死ぬ」というのも目の当たりにします。厳しき現実です。
そんないのちを授かった私たち。なぜ生を受け、いのちある身にさせてもらったのか。
自分のいのちを省みて、今あるいのちの営み、いのちのより所、ともに味わっていきたいものです。
2020.06.13 13日の言葉
梅雨らしいジメジメ感。ちょっぴり苦手です。
新型コロナウイルスも少しばかり落ち着いてきたのしょうか。
第2波にならないことを願うばかりです。
さて13日の言葉です。
さっき口にしたのは
食べ物ではない
他の者の子どもです
私たち人間は様々ないのちの恩恵によって、我がいのちを支え繋がされているいのちです。
「自分いのち」だからではなく、多大なるいのちのおかげで、このいのち1つを護ってもらっています。「いただきます」「ごちそうさま」のことを書くと、種々意見をいただきますが、理屈ではなく、お礼を申すということはやはり大切です。
「おかげさま」のいのちをお育てにあずかっているのがわがいのちです。
今からもこれからも、お礼を申して食させていただくことを大事にしたいものです。
2020.06.12 12日の言葉
一昨日、神戸も梅雨入りしました。梅雨ですので当たり前でしょうが毎日毎日、雨がよく降ります。
ジメジメしちょっぴり憂鬱な気持ちです。けども梅雨のおかげで夏が暑さがしのげるとも耳にします。四季がある日本ってやっぱりすごく恵まれている環境だとしみじみ感じます。
さて12日の言葉です。
子を叱る親はあるが
自分を叱る親は少ない
今のわが身によくよく響く言葉です。来月で4歳になる双子。毎日が葛藤です。
毎日何度、我が子を叱っているのか。自分が恥ずかしくなります。
それと同じく自分の過ち、失態などを知らんぷり。いや自分で自分をなぐさめている自分すらいます。理屈と屁理屈を駆使し自分の過ちすら、プラスになるような考えすら持ち合わせています。どうしようもないわが身です。
今日の言葉をしっかり見つめ味わいます。
なんだかんだ言って、こどもに成長させてもらっている身なのです。このような言葉を出会ったことがあります。
「子供叱るな来た道じゃ、 年寄り笑うな行く道じゃ」
2020.06.11 11日の言葉
11日の言葉
長所も威張れば
短所となり
短所も自覚すれば
長所となる
そもそも自覚とはなんでしょうか?
とある辞書には、自分自身の立場・状態・能力などをよく知ること。わきまえること。とあります。この自覚を頭で理解するのは難しくはありません。が、自覚を自分自身に当てはめてみると自分の失態がよくよくみえます。
人間という生きものは自分の心の奥底にある深い深い闇の底は、見せたくないものです。他人には絶対に知られたくない心を誰もが持っています。どんなに立派にきれいに、素敵に外見を着飾っても心の闇だけは見せることができません。これが人間そのものの姿です。
自覚することは容易ではありません。
しかし1度自覚することができればそれは長所となるとのお示しです。
他人はどうあれわが身の問題です。人と比べることなく1度、自分自身、自覚をみつめてみてはいかがでしょうか。
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